Avaloncity Central Park

不肖「信頼出来ない語り手」明智紫苑の自作小説とエッセイとドールカスタマイズのブログです。

不肖「信頼出来ない語り手」明智紫苑の自作小説とエッセイとドールカスタマイズのブログです。自作小説は、主に私のライフワーク『Avaloncity Stories』のエピソードを載せていきます。

《Copyright ©Shion Akechi / Akechi Shion》
㊟当サイトに掲載している小説はフィクションです。登場する人物・団体・名称などは架空であり、実在のものとは関係ありません。
当サイトに掲載している小説、エッセイ、画像などの無断転載を禁止します。

天使の百合
 私は同性婚の合法化には賛成である。さらには、選択的夫婦別姓も合法化していただきたい。なぜなら私は、母親の再婚によって押し付けられた継父の「珍しいけどダサい」苗字が嫌だったからである。これが亡き実父の苗字であれば、多少ダサくても「まあ、そんなもんだろう」と受け入れていただろう。つまりは、私は継父を憎んでいるがゆえに、継父から押し付けられた苗字を好きにはなれないのだ(全国の同姓の方々に対して失礼ではあるが)。
 それはさておき、仮に現実世界の日本社会で同性婚が合法化されたら、よしながふみ氏の漫画『きのう何食べた?』の世界観にも少なからぬ影響を及ぼすだろう。この漫画の主役コンビはゲイのカップルだが、その一方である「シロさん」こと 筧史朗 かけい しろう は、仮に異性愛者であれば婚活市場で「超好条件の物件」だと見なされるような人物(イケメン弁護士)である。しかし、彼はゲイコミュニティではむしろ、他のゲイ男性たちにはあまりモテない人らしい。その『きのう何食べた?』の世界で、同性婚が合法化されたらどうなるのか?
 おそらく、史朗に対して下心を抱いて近づく「婚活男子」が出てくる可能性があるだろう。しかし、賢明な史朗はそのような「婚活男子」の打算を見抜いて、まともに相手にしない(少なくとも、相手に対して丁重に付き合いを断る)だろう。もし私が史朗の立場だったら、相手の金を目当てにした同性婚を目論む同性は嫌だな(もちろん、異性婚でも嫌だが)。そして、この漫画の世界観で同性婚が合法化されたら、史朗は最終的に彼氏(もう一人の主人公)の 矢吹賢二 やぶき けんじ と法律婚するだろう。やはり、この二人は幸せであってほしいのだ。

 話を現実世界における同性婚の合法化をめぐる議論に移すが、ある男性政治家は自らが同性愛者でありながらも、同性婚の合法化に対しては反対派だった。それに対して、私はこう邪推した。
「この人、自分が有力者の『娘』と政略結婚したいから、あえて同性婚の合法化に反対してるんじゃないの?」
 同性愛者やトランスジェンダー当事者などの性的マイノリティーの人たちの存在や人権問題について考えるのは、君主制を筆頭とする「世襲制」全般に対する疑問につながると、私は思う。なぜなら、世襲制とは「子孫繁栄を前提とする」異性愛を基準にした制度であり、それから外れる性自認や性的指向の人たちを、さらには障害者や不妊症の人たちなどの「健康弱者」を差別する根拠だからである。「事実上の皆婚制度」だった時代でさえ、重度の障害者やその他「いわく付き」の人たちまでも結婚出来たのではないのだ。
 しかし、世の中には少なくとも、わざわざ世襲制にする必然性がない立場や職業は色々とある。いわゆる「家父長制」に対する批判だって、最終的には出自に基づく差別に対する批判につながるのだ。「家父長制」とは「男性のブランド化」であり、それゆえに「ブランド」としての価値がないと見なされる「弱者男性」をも苦しめるものである。
 世の中には「男性差別は存在しない」と断言する「自称フェミニスト」たちがいるが、実際には「白人差別」と同様に「男性差別」は存在する。しかし、男性の「女性差別」が美女や才女などの好条件の「強者女性」をも対象とするのに対して、女性の「男性差別」は前述の『きのう何食べた?』の史朗のような好条件の「強者男性」をも対象にする事態は稀である。つまりは、多くの女性たちにとっては、好条件の男性をわざわざ「男性差別」の対象にする意味がないからである。

 それにしても、世間一般にある様々な差別について考えるのは、実に難しい事態である。「個人の好き嫌い」として許される価値観と、「社会悪」としての差別との線引きが難しいのだ。

 前述の通り、『きのう何食べた?』の主役コンビはゲイのカップルであるが、彼らは「性的マイノリティーである」という点以外は特に致命的な弱点はない人たちであり、決して「弱者男性」ではない。むしろ、下手なシスジェンダー異性愛男性よりもよっぽど「強者男性」である。日本国内のゲイコミュニティにおいては「新宿二丁目に捨てるゴミなし」という言葉があるらしいが、それはゲイ男性たちの「好みのタイプ」が異性愛男性のそれよりも多様性があるゆえに、異性愛業界ではモテないタイプの男性にも、ゲイコミュニティではパートナーが見つかる可能性があるという意味なのだ(ただし、レズビアンやバイセクシュアル・パンセクシュアルの女性にも同様の事が言えるのかは、部外者である私は全く知らない)。
 しかし、世間一般で「弱者男性」並びに「弱者女性」と見なされるような資質や立場の人たちは、異性愛業界のみならず、同性愛業界においてもまともに誰かに相手にしてもらえる可能性が低いだろう(特に女性は)。私が昔、近所のブックオフで購入した某レズビアン雑誌には「文通コーナー」があったのだが、それにある一連の友達・パートナー募集の投稿においては、無職の女性は避けられていた。つまりは、仮に将来の日本社会で同性婚が合法化されても、「弱者男性」並びに「弱者女性」にとっては、異性婚も同性婚も「高嶺の花」なのである。

 余談だが、ある50代男性が結婚相談所に入会して「20代女性と結婚したい」と希望を述べたら、相談所側から「20代の障害者女性」ばかりを紹介されたという話を、私はあるYouTube動画のコメント欄で読んだ。その「障害者女性」たちの障害の種類や程度はまちまちだろうが、必ずしも本人の意志で結婚相談所に入会したとは限らない。むしろ、自分自身の意志を無視された結果である可能性すらあるのだ。
 多分、その女性たちの親御さんたち(並びに、それらに準じる保護者たち)は、その結婚相談所を姥捨て山ならぬ「娘捨て山」にしたつもりなのだろう。


【ARIA - Departure feat.AK-69】

🍎お手数ですが、クリックをお願いします。🍏
にほんブログ村 にほんブログ村へ

ドクターと一緒
 ツイッターで、ある人たちがこう言っていた。
《男は「根回し」「融通」「妥協」とかってのを大切にするから、サラリーマンに向いてるけど、女の仕事できる奴って、無駄に「正義感」「頑固一徹」だったりする。女って中間管理職は向かないけど、経営者には向いてるとおもう時がある。》
《むしろ「なぜ女性映画監督の”打率”が高いのか」って議論があって「性差別が根強い映画界で女性が監督になり監督であり続けるには半端なく突出した才能が必要だから。つまり女性監督による”駄作”が普通に作られる状況になってこそ差別が解消されたと言えるのでは」という分析がされてたくらいなのになあ》
 要するに、フェミニズムというものは、ある程度優秀・有能な「強者女性」を基準にした思想であり、知的障害者や貧困層なども含めた「弱者女性」は「フェミニズム以前の問題」という立場に置かれてしまう。そもそも「強者女性」自体が、他の女性たちを踏み台にして成り上がった人たちであり、「男」か自分と互角かそれ以上の「女」しか「仮想敵」だと想定しない。おそらくは、一部の「自称フェミニスト」の女性たちは、トランスジェンダー当事者たち(特にトランス女性)に対して「新たな敵が現れた」と思って警戒した結果、トランスヘイターと化してしまったのだろう。たいていの差別は利害得失の問題である。
 しかし、山本譲司氏の著書『累犯障害者』(新潮文庫)で取り上げられているような知的障害者の「弱者女性」たちは、そのような「自称フェミニスト」からもまともに「敵」扱いはされない。要するに、単なる差別対象・蔑視対象としての「弱者」でしかないのだ。同じ事は、貧困層に属する女性たちにも言える。テレビでたまに取り上げられている「貧乏大家族」の女性たちに対する扱いが一例だし、今は亡きグラビアアイドルの上原美優氏だって、貧乏大家族の娘というだけの理由で「日本版サラ・バートマン」として「見世物」扱いされていたのだ。



 斎藤美奈子氏の『モダンガール論』(文春文庫)は、明治以降の日本国内の女性史を扱うものである。この本では「欲望史観」という目線で、近現代の日本国内の女性たちの社会的立ち位置について論じる本である。この本では「女の子・女性」の出世の道として「社長」と「社長夫人」という二つの選択肢がある。競走馬で例えるならば、三冠牝馬ジェンティルドンナは「社長」であり、ステイゴールドの「正妻」オリエンタルアートは「社長夫人」である。何らかのフィクションの登場人物で例えるなら、「自らが主人公であるヒロイン」と「男性主人公のパートナー(主に異性愛の対象)としてのヒロイン」の違いがあるのだ。
 しかし、「社長」にも「社長夫人」にもなれない「弱者女性」たちは、まともに「社会人としての女性」とは見なされない。斎藤氏の本における「女工」や「女中」にもなれないような障害者女性や「ギリギリ健常者」女性については、ほぼ取り上げられていない(前述の山本譲司氏の著書にもあるように、性産業界に取り込まれる事はあっても、健常者女性の場合以上に「使い捨て」扱いされていただろう事は容易に想像出来る)。まあ、斎藤氏はあえてそこまでは追及しなかったのだろう。

 私は保育園卒園前に、担任の先生から「将来、何になりたいの?」と訊かれて「お嫁さん」と答えた。なぜなら、当時の私は「女性の職業」についての知識がほとんどなかったからなのである。当時保険外交員として働いていた(私の実父である夫と死別した)母と、保育園の先生、さらには病院の女性看護師以外には、幼い私は「働く女」のイメージをほぼ持っていなかった。しかし、小学校入学後、学校内で私自身の「自閉症疑惑」が噂になったのか、私は主に男子クラスメイトたちに「バイキン」扱いされていじめられるようになった。さらに、母親の再婚によって、結婚というものの実態を知り、私の結婚願望はなくなった。いや、本質的には最初からなかったのだ。
 なぜなら、幼い私の「お嫁さん」願望とは、ただ単に「ウェディングドレスを着たい」というコスプレ願望に過ぎなかったからなのだ。まだ小学生のうちに結婚願望を持たなくなった私は、代わりに「漫画家になりたい」と思うようになった。それは「漫画の女神様」高橋留美子氏の存在を知ったのが理由の一つだろう。もちろん、少女漫画界で活躍している女性漫画家たちもいるが、私は子供の頃から少女漫画よりも少年漫画の方を好んでいた。それゆえに、私は「恋愛体質」的な価値観を苦手とするようになったのだ。
 私にとって、高橋留美子氏のような優秀・有能な女性漫画家とは、まさしく「モダンガール」だったのだ。「男の七光り」には頼らない自立した女性像、それが高橋留美子氏などの女性漫画家たちのイメージである。しかし、私は結局はプロの漫画家並びにイラストレーターになる夢を捨てざるを得なかった。もちろん、自分自身の才能のなさを認めざるを得ない状況でもあったが、さらに、プロの漫画家やイラストレーターの苦労話を知ってあきらめたからでもある。

 斎藤氏の本では、様々な女性たちが「仕事」や「職業」や「社会人」「主婦」などの立場によって右往左往しているのが描かれているが、それは女性たちそれぞれの個人的資質だけの問題ではない。彼女たちが属する社会的階層の問題も大きい。平塚らいてうや与謝野晶子などの「強者女性」フェミニストたちが「母性保護論争」などを展開しても、それらを他人事としか思えなかった女性たちだって、きっといただろう。なぜなら、平塚氏や与謝野氏は明らかに「上級国民」ならぬ「上級女性」であり、当時の日本人女性たちの大半から見れば「雲の上」の存在だったからである。ましてや、障害者女性にとっては。
 この本では貧困層の「社会学的弱者女性」たちが取り上げられているが、知的障害者などの「生物学的弱者女性」はほぼ取り上げられていない。「良妻賢母」も「キャリアウーマン」も「女子大生」も、優生思想あってこそ成り立つ概念だろう。結局は「フェミニズム」というものが基本的に健常者の「強者女性」を基準にして成り立つものであり、平塚らいてうと与謝野晶子の「プロレス」を観戦する余裕なんぞ、障害者や貧困層などの「弱者女性」にはないのだ。


【Sheena Easton - Modern Girl】

🍎お手数ですが、クリックをお願いします。🍏
にほんブログ村 にほんブログ村へ

初めてのUFランクウマ娘(ゴールドシップ)
 私は昨日、『ウマ娘』の最新シナリオ「U.A.F. Ready GO! 」で初めてUFランクウマ娘を作れた。我が友ゴールドシップである。当然、今までの全シナリオのプレイで最高ランクである。思えば遠くへ来たもんだ。私は徐々にこの最新シナリオの攻略のコツをつかめてきそうだ。どの数値を上げられるかで、トレーニング方法を変える必要があるのだが、詳しい攻略法については他のサイトを参照されたし。そもそも、当ブログの「ゲーム」カテゴリーは、ゲームの攻略法を扱うものではないのだ。
 このゲームで強いウマ娘を作るためには、シナリオごとにそれぞれのコツをつかむ必要がある。それらについてはYouTubeのウマ娘系チャンネルの動画を参考にすれば良いのだが、いつゲームのアップデートによって仕様が変更されるのかは分からない。私は以前、札幌市内の某書店で『ウマ娘』の非公式攻略法ムックを見かけた事があるのだが、非公式な上に、これからのアップデート次第でその内容が通用しなくなる可能性が高いので、入手どころか立ち読みすらしていない。
 それはソーシャルゲームアプリだけに限らず、インターネット関係の様々な物事にも言えるのだが、それゆえに古い情報は当てにならなくなる。ブックオフのパソコン並びにインターネット関係の古本コーナーに、そのような古いデータの本たちがズラリと並んでいると、私は「一体、どれほど商品としての需要があるのか?」と疑問に思う。まあ、私自身が思うよりは需要があるのだろうが、同じ「古いデータ」ならば、ファッション関係の書籍・雑誌は歴史的資料としての需要や価値があるだろう。

 それはさておき、私が『ウマ娘』をプレイしている本来の目的は、自分が「女性がマジョリティーの世界観の小説を書くための参考資料」とするためなのだが、現在、その小説の執筆はプロット作成の段階で中断している。その小説には「戦うヒロイン」たちが出てくるのだが、メインヒロインの恋愛についての設定がある。しかし、私は『ウマ娘』をプレイし、さらにYouTubeで映画『マッドマックス 怒りのデスロード』を観て考え直した。
 いわゆる「ヒロイン」が必ずしも恋愛をする必然性はない。特に「ヒロイン自身が主人公」の場合はそうだ(もちろん、同じ事は男性主人公にも言える)。純粋に恋愛をメインテーマにしている作品ならまだしも、他の何かがメインテーマであれば、主人公ではなく脇役に恋愛要素を回した方が良い。私は「脇役の恋愛」が魅力的に描かれているフィクションが好きなのだが、それは脇役が単なる主人公の引き立て役ではない(脇役自身の人生を描いている)のを示しているからである。
 物語の主人公には恋愛以外の大義名分があってほしいと、私は思うのだ。


【BONNIE PINK - So Wonderful】

🍎お手数ですが、クリックをお願いします。🍏
にほんブログ村 にほんブログ村へ

北海道地震札幌北区の道路のヒビ

 川中島の戦いは、日本の戦国時代に、領土拡大を目指し信濃国(現在の長野県)南部や中部を制圧しさらに北信濃に侵攻した甲斐国(現在の山梨県)の戦国大名である武田信玄(武田晴信)と、北信濃や信濃中部の豪族から助けを求められた越後国(現在の新潟県)の戦国大名である上杉謙信(長尾景虎)との間で、主に川中島で行われた数次の戦いをいう。双方が勝利を主張した。
 以上、ウィキペディアから引用したが、実は川中島の戦いは、日本史上で最も有名な戦いと言っていいだろう。
 というのも、この戦いは、今から約100年前の江戸時代に書かれた『甲陽軍鑑』という書物において、「最も偉大なる合戦」として挙げられているからだ。
 また、『甲陽軍鑑』には、
「この戦、川中にありて勝敗を決し難く、遂に越後の国へ引き入るることを得ずして、遂に退きて善光寺平の原野に陣取り、両人共に雌雄を決せんとするも、勝負つかず。但し信玄公大勝の事也」
 と書かれていて、川中島での戦闘結果について、謙信側の負けだと結論づけられているのだ。
 しかし、実際には、両軍とも、かなりの損害を受けたものの、最終的に、上杉側が撤退している事から、引き分けに終わったと考えられているようだ。
 だが、オルフェーヴルは、今回の旅行中に、この有名な戦いを見てみたいと思っていたのだが、残念ながら見る事ができなかった。
 ただ、幸いにも、インターネット上には、当時の戦場跡の写真などが多数アップされていたので、オルフェーヴルはそれを見る事ができた。
 さすがに、100年以上前の写真なので、現在とは多少地形が違うような気もするが、それでもかなり正確な地図と共に、当時の様子を写した写真が昭和のエロ本並みに多くあった。
 そして、その中で、特にオルフェーヴルの目を引いたのが、一際大きな木に旗が立っている写真だった。
 それは、どう見ても、お寺などの境内にある御神木のように見えた。しかも、その木の周りには柵のようなものまで見える。そこで、オルフェーヴルは織田無道に相談したところ、その木が毘沙門天を祀る寺院のものである事が判明したので、毘沙門堂に行く事にしたのだ。
 毘沙門堂というのは、簡単に言うと、仏教のお寺の本堂の裏手あたりにあって、本尊を安置する建物の前に建てられた仏具・装飾のある小さな建物の事で、大抵の場合は、その中に、仏像の代わりに、毘沙門天像が置かれている。
 ちなみに、毘沙門天は元々インドの神であり、多聞天とも呼ばれる事もある。日本では七福神の一人で弁財天と同じ神様だ。だからなのか、オルフェーヴルはその毘沙門天に対して、非常に強い興味を抱いたようであった。
 もっとも、毘沙門天が祀られている寺自体は、それほど大きくなく、すぐに見終わってしまったのだが……

 そうこうしているうちに、一行は、ようやく善光寺に到着した。善光寺では、まず最初に、参拝してから、宿坊体験をした。
「ところで、川中島の戦いですが、何で引き分けになったんですか?」
 オルフェーヴルは、ふとした疑問を口に出した。
「うーん、それなんだけどね……」
 信長は少し困った顔をしていた。
「実は、僕もよく知らないんだよね」
「えっ? そうなんですか!?」
 真相はこうだ。

 武田信玄は、わさび醤油の漬物を食べながら、
「この戦、川中にありて勝敗を決し難く、遂に越後の国へ引き入るることを得ずして、遂に退きて善光寺平の原野に陣取り、両人共に雌雄を決せんとするも、勝負つかず。但し信玄公大勝の事也」
 と書いたが、これは嘘である。本当は、上杉謙信も信玄と同様に、川中島での決戦を避けたのだ。
 そもそもの話になるが、この戦いにおける両者の戦力差は、圧倒的に武田軍が有利だった。信玄自身は、「わが軍は10万の兵を擁する」と公言していたし、謙信は「わが軍には10万匹の猫がいる」と言ったと伝えられている。
 つまり、武田軍の方がはるかに大軍だったというわけで、しかも、信玄自身が「川中島の戦いにおいて、先に攻撃してきたのは、武田軍の方だ」と主張しているくらいなのだから、当然と言えば当然かもしれない。
 だが、それでも謙信には、どうしても避けなければならない理由があった。それは甲子園での試合観戦だ。謙信は、甲子園の大ファンで、毎年欠かさず足を運んでいたのだ。
 謙信としては、武田軍に負けて、甲子園で応援できなくなるよりは、引き分けで我慢して、来年も甲子園で試合を見たいと考えたに違いない。
 実際、上杉側の史料には大谷翔平のファンで、大谷君が投げている間は絶対に負けないと明言していたという話が伝わっているほどなのだ。
 それに、もし、信玄と戦う事になった場合、謙信としても、ただでは済まなかったはずだ。というのも、謙信は若い頃から、ずっと病気がちで身体を壊しやすかったからだ。
 また、当時の武士たちは野球だけでなく、サッカーやボクシングやプロレスなどにも関心を持っていた。なぜなら、相撲と違って、ルールが簡単で分かりやすいスポーツだったし、何よりも、彼らの生活の一部になっていたからだ。
 そんな時代背景もあって、上杉勢と武田勢の戦いは、お互いの大将同士が直接戦って決着をつけるのではなく、それぞれの配下同士による代理戦争のような形状記憶合金的な戦いへと発展していったのだろう。
 上杉方の史料には、上杉勢は1万人程度しかいなかったと書かれているが、実際に動員できた兵力は、せいぜい5000人程度だったと言われている。
 それに対して、武田方は、約20万人の兵を動員する事ができ、さらに、武田家の家臣の中には、プロのスポーツ選手も数多く盆踊り大会に参加していたのだ。
 しかも、武田家は、上杉謙信に対抗すべく、領内各地に大規模な忍者の里を作っていて、その中には、鉄砲隊まで組織されていたのだから、上杉側の事情はますます不利になっていく。
 しかし、それでもなお、謙信は戦いを避けたかったので、両軍ともお互いに相手の出っ歯を引っこ抜こうとして、小競り合いを繰り返すという状態が続いた。
 そして、ついに痺れを切らした信玄は、川中島の本陣に火を放って焼き払い、自ら出陣して一気に攻め滅ぼそうと画策した。ところが、その動きを察知した謙信が先手を打って動いたので、お茶漬け海苔をご飯にのせる前に、慌てて退却したというわけだ。
 しかし、結局のところ、川中島での戦闘が再開する事はなかった。何故なら、信玄が死んだからである。

 さて、話は少し変わるが、実は、この戦国時代に、日本で一番有名な外国人は誰か? と聞かれたら、マイネルファンロンならぬマイケル・ジャクソンだと答える人もいると思うが、実を言うと、それは間違っている。
 確かに、歴史上の人物としては、織田信長が有名だし、豊臣秀吉や徳川家康なども有名ではあるが、彼らは、あくまでも日本人であって、海外に名を馳せたという意味では、やはり外す事はできまい。
 それは、ずばり、チンギス・ハーンである。
 実は、モンゴル人は、元々遊牧民であり、騎馬民族であった。馬に乗って移動する彼らを、中国の人達が、騎馬の民と呼んでいた事から分かるように、中国とモンゴルの関係は、切っても切れない関係にあった。
 例えば、三国志に出てくる有名な武将の一人・関羽雲長の父親は、実は、モンゴル人だったという説があり、しかも、彼は、父親から受け継いだ弓の名手でもあった。
だから、関羽は、父親の形見である巨大な青龍刀を使って戦う事ができたのだ。
 また、曹操孟徳の祖父も、元々は漢民族ではなく、鮮卑族出身であり、彼の妻は、漢族の出身で、しかも彼女は、曹操の母親とは姉妹であったらしい。なので、曹操も母親から譲られた曲剣を使ったりしていたようだ。
 このように、歴史に残るような英雄豪傑達も、実は、祖先を辿ると意外な繋がりがある事が分かったりする。
 また、これは余談になるが、オルフェーヴルの兄ドリームジャーニーは、実は、父親が中国人で母親がロシア人であるという混血児で、彼もまた、その血を受け継いでいる。そんな兄を持つオルフェーヴルは、将来は、どんな大物になるのだろうか?
「オルフェーヴルちゃん、どう? 毘沙門天は見つかった?」
「はい! ここにいらっしゃいます!」
「あー……やっぱりね」
 信長は苦笑いを浮かべた。
「そういえば、このお寺には、毘沙門堂以外にも、大きな仏像とかありますか?」
「うん、あるよ」
「じゃあ、行ってみましょう」
 オルフェーヴルはロードカナロアとイスラボニータと一緒に、ウィキペディア小見出しを片手に善光寺を散策し始めた。
 善光寺では、多くの観光客で賑わっていた。特に目立つのは、若い女性のグループで、彼女たちは、皆一様にスマートフォンを手にして、写真を撮っているようであった。
「ねえ、見てみてー」
「すごーい」
「長ーい」
「でかーい」
「太ーい」
 それは、あまりにも異様な光景で、信長達は、思わず絶句してしまった。
「うむ。これぞまさしく魔改造だな」
「ええ……」
 信長は思った。
(いったい、何を考えてるんだろう?)

 一方、その頃、府中競馬場では、ディープインパクトが勝利して、真っ赤な六尺ふんどし一丁という潔い姿の呂布が、スタンドを埋め尽くす観客達の大歓声を受けていた。
「ブエナビスタが勝った時みたいですね。それにしても、あの格好は、ちょっと恥ずかしくないですか?」
「まあまあ、いいじゃないか。あれはあれで、きっと何か意味があるんだよ。それより、次のレースはなんだっけ?」
「次は、マイルチャンピオンシップですよ」
「よし。それじゃ、行こうぜ。いよいよ俺様の出番だ」
 こうして、府中競馬場へと向かう途中、織田軍団一行は、偶然にも、善光寺の近くを通りかかった。すると、そこにいたキャンドル・ジュンと鳥羽周作が、こちらの存在に気づいて声をかけてきた。
「おう、久しぶりだな。元気にしてたか?」
「はい。皆さんも、お変わりないようで何よりです」
「ところで、今日は、どうしてこんな所に?」
「はい。実は、私達も今から広末涼子さんを観に行く所だったんです」
「へえ、そうなのか」
 キャンドル・ジュンは、感心したように言った。
「しかし、お前らも物好きだな。わざわざ宝塚まで足を運んでおいて、今度は、東京まで追いかけて行くなんてよ。いったい、何が目当てだったんだ?」
 高杉晋作は答える。
「ステイゴールドのウンチョスを川中島の戦いで汚した上杉謙信を成敗するためです」
「そうか。それは大変だな。でも、気をつけろよ。あいつは、手強い相手だぞ。それと、ついでに言っておくが、あんまり無茶をするんじゃないぞ。もしもの時には、すぐに引き返してこい。それが、お互いのためだ」
「分かりました。肝に命じておきます」
「それから、もう一つ忠告しておくが、もし、上杉謙信と戦う事になったら、絶対に油断するな。そして、常に最悪の事態を想定して動け。分かったな? いいか? 分かったな? 分かったよな?」
「OK牧場!」

 こうして、川中島の戦いは始まった。先に仕掛けたのは武田方であった。
「者ども、進めぇーっ! 上杉勢を皆殺しにするのだぁー!」
 その掛け声とともに、騎馬に乗った侍達が、一斉に突撃を開始した。
「さすがに数が多いだけあって、なかなか迫力がありますね」
「ああ、そうだな。さらに、ガトリングガンを装備させた騎馬隊も加わっているようだから、ますます厄介になりそうな感じがしてきたな」
「そうですね。でも、こっちも負けていられませんよ!」
 織田軍団も戦闘態勢に入った。
「まずは、我々が敵の注意を引きつけなければなりませぬ。そこで、山下達郎と松尾潔に二虎競食の計をやってもらいましょう。私が合図をした瞬間に、同時に敵に向かって走り出して下さい。そして、お互いの背中を蹴飛ばしあうのです」
「え!? そ、そんな事したら死んじゃいますよぉー」
「大丈夫です。死ぬ時は一緒ですよ」
「うぅ……ん……こ……」
「うぅ……ん……」
「それでは、行きなさい」
「はい……」
「うん……」
 織田軍団は、一斉に敵軍へと向かって駆け出した。
「来たぞ。撃てぇーっ!」
 鉄砲隊が、一斉射撃を開始する。しかし、織田軍は武田軍と上杉軍のちょうど中間地点辺りで、まるでUターンをするような軌道を描きながら、次々と落馬していった。
「え? どうなってるの?」
「うーむ……これはいったいどういう事なのだ?」
「うわーっ!」
「ぎゃーっ!」
「ひぃ、ふぅ、ふぅ」
「あ、危なかった……もう少しで、蜂の巣になるところだったぜ」
「でも、どうして急に馬が暴れ始めたのでしょうか?」
「分からない。だが、おかげで助かったぜ」
「とにかく、急いで逃げましょう」
 織田軍一行は一目散に逃げ出した。

 一方、上杉軍は麺類連合軍に混乱していた。
「な、なぜだ! なぜ、織田軍がこんな所に?」
「まさか、奴らは我々の動きを察知していたのか?」
「いや、いくらなんでもそれはありえないだろう。だとすれば、いったい何故なんだ?」
 その時である。
「おーチンチン」
「あーうんち」
「うーちんこ」
 織田軍一行は、わざと下品な言葉を連発した。
「おい、あいつら、何を言っているんだ?」
「分からん。いったい何を企んでいるんだ?」
「まあいい。とりあえず、タイヤに釘を撃ち込んでおこう」
 しかし、すでに織田軍の作戦は始まっていた。
「今だ。みんな、逃げるぞ」
「はい」
「うおおおぉぉーっ!」
「どけどけぇーっ!」
「邪魔だあぁーっ!」
「くらえ、わさび醤油攻撃だあぁーっ!」
 織田軍団は、馬に乗っている侍達に、目潰し攻撃をした。
「ぐはっ」
「目が、目が痛い」
「くっ、卑怯な真似をしよって」
「くらえっ!」
 上杉軍の攻撃が武田軍に炸裂した。
「うわー」
「助けてくれぇー」
「ひぃーっ」
 武田軍は、あっという間に総崩れとなった。

 その頃、府中競馬場に到着した呂布は、レースに出場する準備をしていた。
「よっしゃ。いよいよ俺様の出番が来たぜ」
 呂布は相変わらず真っ赤な六尺ふんどし一丁という潔い姿で、命の洗濯を楽しんでいた。
「ようし。今日も頑張るか」
 そして、いよいよレースが始まった。
「さあ、各馬一斉にスタートしました」
「先頭は、メジロパーマー。続いて、トウショウボーイとメジロラモーヌが並んで追走しています。そして、その後ろからは曹操軍が袁紹軍を追い詰めています」
「さあ、第四コーナーに差し掛かりました。ここで、トウショウボーイが外から上がってきたぞ。おぉっと、メジロラモーヌが下がっていく。代わって、リンカーンが先頭に立った。さらに、ミスターシービーとシンボリルドルフが追い込んできた。しかし、後ろからキャンドル・ジュンと鳥羽周作が猛追しているぞ。果たして、キャンドル・ジュンが前に出る事ができるのだろうか? さあ、最後の直線コースに入りました。トウショウボーイが先頭だ。後続との距離は、五馬身以上離れているぞ。そして、そのすぐ後ろに、キャンドル・ジュンが迫っている。そして、曹操軍と袁紹軍が山下達郎と松尾潔を蹴飛ばそうと必死の形相で走っているぞ。おぉーっ! ついに山下達郎と松尾潔がキャンドル・ジュンの背中を押した! すると、キャンドル・ジュンは一気に加速し始めたぁーっ! その差はすでに三馬身! これは凄い馬っ気サービスです! さあ、キャンドル・ジュンがトップでゴールイン! 二着には、僅差でリンカーンが入ってきました。さらに、その横を鳥羽周作が滑り込みました! そして、そのまた横にミスターシービーが鼻面を突っ込んできて、惜しくも残念賞のポケットティッシュを手に入れました」
「よっしゃ。勝ったぜ」
 こうして、無事に勝利を収めた呂布は、広末涼子を観に宝塚へと向かった。
「よーし。頑張って応援するぜ」
 そして、宝塚に到着するなり、呂布はすぐに馬券売り場へと直行して、馬券を購入した。
「大人一枚、馬一枚お願いします」
「はい、分かりました」
「よし。これでバッチリだ」
 呂布は、観客席へと向かう途中、売店の前を通りかかった。
「へえ、これが噂の焼きそばか。ちょっと買ってみよっかな」
 呂布は、焼きそばを注文した。そこに武田軍と上杉軍がブギウギ専務の上杉周大を引き連れてやってきた。
「うむ。ここが、伝説の焼きそばを販売している場所なのだな」
「はい。そうでございます」
「ところで、この焼きそばを食べた者は、いったいどんな力を手に入れる事が出来るのだ?」
「それは、もちろん運でございま……す……」
 呂布はとりあえず、ふんどしを外して全裸になり、思いっ切り放屁した。
「うーん。うーん。うーん」
「おぉ……なんという……」
「素晴らしい……まるで黄金の如き輝きを放っているではないか」
「これはまさしく……神の吐息だ」
「うむ。では、早速頂いてみる事にしよう」
 上杉軍は、焼きそばを注文した。しばらくして、上杉軍は焼きそばを受け取り、代金を支払うと、すぐに食べ始めた。
「おおっ。これは美味い!」
「うむ。まさに神の御業だ」
「このような食べ物があったとは……これならば、必ずや天下を取る事も夢ではない」
「うおーっ!」
「うおーっ!」
 上杉軍は雄叫びを上げながら、去って行った。

「やれやれ、ようやく行ってくれたか」
「あの人達は、いったい何だったんでしょうね?」
「おそらく、どこかで命の洗濯を仕掛けられましたな」
「なんだよそれ?」
「まあ、気にする事はありません」

 一方、織田軍一行は府中競馬場へ向かっていた。
「うわーっ。なんか、すごい事になってるみたいですよぉー」
「ああ。どうやら、織田軍が勝利したようだな」
 すると、空から呂布のふんどしが落ちてきた。
「おぉーっ! これはまさしく、我が宿敵呂布奉先の仕業に違いない」
 曹操軍の武将は、怒り狂いながら叫んだ。
「おい、お前ら。早く織田軍の奴らを皆殺しにしてこい」
「承知しました」
 織田軍は府中競馬場に隠された徳川埋蔵金を探し回っていた。
「よっしゃ。ここに何かありそうな予感がするぜ」
 しかし、いくら探しても徳川埋蔵金の手がかりを見つける事はできなかった。
「くそっ。ここには、何もないのかよ」
「仕方がない。別の場所を探すとするか」
 その時である。そう簡単に諦めてもらっては困りますねぇ~とばかりに、突然現れた徳川家康が現れた。
「くっくっくっ。よくぞここまで辿り着きましたね」
「出たな。家康公」
「さあ、ここであなた方に死んでもらいましょう」
 しかし、そんなヒロシに騙されて、馬鹿正直にやって来るほど信長達は甘くなかった。
「ふぅ。危ないところだったぜ」
「まさか、こんな所に家康がいるなんて思わなかったぜ」
「でも、どうしてあんな所にいたんだろう?」
「さあな。とにかく、さっきの場所に戻ろうぜ」
 武田軍はキャンドル・ジュンを、上杉軍は鳥羽周作を捕虜として捕らえた。
「さあ、キャンドル・ジュン。我々と共に来てもらおうか」
「ぐぬぬ。卑怯者め」
「何とでも言うがいい。さあ、行くぞ」
「待て。まだ勝負は終わっていないぞ」
 そこに、真っ赤な六尺ふんどし一丁という潔い姿の呂布がやって来た。
「貴様は、呂布奉先」
「よう。久しぶりだな。上杉周大」
「ふん。ちょうど良い機会だ。今度こそ、貴様に引導を渡してくれる」
「それはこっちの台詞だ」
「いざ尋常にはっけよーい、残った」
「どけどけい。俺が相手だ」
「邪魔をするな。俺はキャンドル・ジュンと決着をつけなければならないのだ」
「うおおぉぉーっ!」
「うおおおぉぉーっ!」
 こうして、呂布と上杉周大の戦いが始まった。
 上杉周大は上杉謙信に変身した。
「喰らえっ! 我が必殺奥義『毘沙門天』を」
「うおっ! 凄い風圧だ」
「はぁーっ!」
「うぉっ! なんだこの衝撃波は」
「はぁーっ!」
 キャンドル・ジュンと鳥羽周作は上杉謙信の圧倒的な力の前になす術もなく、ついに捕まってしまった。
「よっしゃ。これで勝ったぜ」
 しかし、武田軍は山下達郎と松尾潔を蹴飛ばそうと必死の形相で追いかけてくる。
「やれやれ。しつこい連中ですね」
「よし、ジャニーズパワーを見せ付けてやるぜ」
「よっしゃ。みんなでいくぜ。せーのっ」
「HEY YO OH」
「よーし。その調子でどんどんいこうぜ」
「HEY YO OH」
「よーし。もっと激しくいくぜ?」
 そこにEXILE軍団が乱入してきた。
「よーし。オレたちも負けてらんねえぞ」
「YEAH」
「Hey Yo Oh」
「Yeah」
「Hya Hya」
「Hi」
「Hii」
「Hi」

 呂布は自分のふんどしを外して、思いっきり放便した。
「うーん。うーん。うーん」
「おぉ……なんという……」
「素晴らしい……まるで黄金の如き輝きを放っているではないか」
「これはまさしく……神の吐息だ」
「うむ。類まれな芸術作品だ」
 こうして呂布のウンチョスは、宝塚劇場の舞台を黄金色に染め上げた。
「うわっ。臭えぇーっ!」
「これは凄いぞ」

 キャンドル・ジュンと鳥羽周作はプロレスで鍛えた見事な身のこなしで逃げ回る。しかし、武田軍は執拗に追い掛け回す。
「やれやれ。これではきりがないな」
「どうやら、僕たちの出番みたいだね」
「ああ。いくぜ。SMAPパワーを見せてやれ」
「よーし、そんなヒロスエに騙されて、渚にたたずむ僕じゃないぞ」
「よっしゃ。いけ、スマップレンジャー」
 SMAP戦隊スマップレンジャーが武田軍に向かっていった。
「くそっ。やられたか」
「仕方がない。ここは一旦退却しよう」
 織田軍一行は府中競馬場へと向かった。

「さあ、いよいよ佳境に突入した川中島の戦い。果たして最後に勝利を手にするのは一体誰なのか?」
「ぐぬぬ。こうなったら、ワシ自らが出陣するしかあるまい」
「おぉっと。武田信玄が遂に動き出したぞ」
「ぐぬぬ。今こそ、真の実力を発揮する時が来たようだな」
「おったりゃーっ! 覚悟しろ、織田軍」
「くそっ。信玄の登場か」
「はっはっはっ。お前たち全員まとめて、我が軍門に降らせてやる」
「くっ。しまった」
「さあ、我が武田軍の恐ろしさを思い知るがいい。うおりゃあぁぁーっ!」
「ぐはっ!」
「うぎゃあっ!」
「おぉーっ。さすがは、戦国最強と謳われる武田騎馬隊だ。たった一撃で、織田信長と明智光秀を吹き飛ばしてしまったぞ」
 そこに北条軍がやってきた。
「うおおぉぉーっ! 武田軍の奴らを皆殺しにしてやるぜ」
「おい、お前ら。俺のふんどしを取れ」
「はいっ。分かりました」
「うおおぉぉーっ!」
「うおおぉぉーい!」
「うおおぉぉーっ!」
「うおおぉぉーい!」
 こうして武田軍と上杉軍はふんどしを取り合った。
「うおおぉぉーっ! このふんどしを取られたくない者は、俺を倒してみせろ」
「うおはぁーっ!」
「うおはぁーっ!」
「うおはぁーっ!」
「うおはぁーっ!」
「うおはぁーっ!」
 こうして、ふんどし争奪戦が始まった。
「うおおぉぉーっ!」
「うんこーっ!」
「うおおぉぉーっ!」
「うんちーっ!」
「うおおぉぉーっ!」
「うぅ~んこぉぉーっ!」
 こうして、激しい戦いの末、ついに上杉軍はキャンドル・ジュンと鳥羽周作のふんどしを手に入れたのであった。
「やったぞ。これで勝てる。ついに我々が天下を取る日が訪れたのだ」
 こうして、キャンドル・ジュンと鳥羽周作は無事に解放され、上杉軍は府中競馬場から去って行った。
「よっしゃ。いよいよ、徳川埋蔵金を探しに行くぜ」

 曹操と袁紹は、劉邦の裸踊りを見物していた。
「あの、すみません。ちょっといいですか? もしかして、あなた方は劉備玄徳さんではありませんか?」
「えっ。どうして分かったんですか?」
「実は、私達は三国志の世界から来た者なんですよ」
「へぇーっ。そうなんだ。実は私たちはアーサー王伝説の世界からやって来たんだよ」
「えぇーっ。マジで」
「えぇーっ。本当だよ」
 その時である。突然、謎の男が現れた。
「貴様らには、死んでもらう」
「なにぃーっ!?」
 なんと、その男は石田三成だった。
「なぜ、ここに三成が?」
「えぇーっ。どういう事?」
「ふっふっふっ。私の名は石田三成。豊臣秀吉の家臣だ」
「なにっ。秀吉だと」
「その通りだ。信長殿。私は秀吉様に忠誠を誓った身。よって、主君のためにその命を頂戴致す」
「くそぉー。そういうことか」
「さあ、死ね」
「そう簡単に殺されてたまるかよ」
「ならば、力づくでも倒させてもらう」
 こうして、曹操と袁紹とEXILEは三成と戦うことになった。
「喰らえっ! 必殺奥義『七星剣』」
「うおっ。危ねぇーっ!」
「さあ、どんどんいくぞ。はぁーっ!」
「うわぁーっ!」
「ぐはぁーっ」
「うっふ~ん、あっは〜ん」
「うわぁーっ!」
 こうして、曹操と袁紹とEXILEはあっけなくやられてしまった。

 一方その頃、呂布たちはようやく府中競馬場に到着した。
「やっと着いたぜ。待ってろよ、家康。今すぐ助けてやるからな」
「よくばりセットください」
「はいよ。四百円になります」
「おつりは要りません」
「まいどありー」
「よし。それじゃあ、早速食べようか」
「いただきまーす」
「いっただっきまーす」
 それはあまりにも唐突で衝撃的な出来事だった。
「いっただきまーす」
「いっただっきまーす」
「いっただっきまーす」
「いっただっきまーす」
「いっただっきまーす」
 もぐもぐ。
「ごちそうさまでした!」
 こうして呂布は、満腹になったので家に帰ることにした。

「さあ、いよいよ最終決戦だ」
「うおおぉぉーっ! 徳川家康を返してもらうぞ」
「ぐぬぬ。まさかここまで辿り着くとは」
「さあ、覚悟しろ。石田三成」
「くそっ。こうなったら、最後の手段を使うしかないようだな」
「なんだと」
「くらえ。これが豊臣家の最終兵器だ」
「うおぉぉーっ! そんなバカなぁーっ!」
「ぐはぁーっ!」
 こうして、ついに織田信長はアーサー王とランスロットと共に倒れた。
「はぁーっはっはっ。どうだ、思い知ったか」
「ちくしょう。こんなところで終わってたまるかよ」
「まだ諦めないのか。無駄なことだというのが分からないようだな」
「うるせぇ。オレはまだ負けた気がしねぇんだよ」
「ふん。負け惜しみもいいところだな」
「うおおぉぉーっ! みんな、行くぜぇーっ!」
「おうよ!」
「はい!」
「分かったよ」
「オッケーイ!」
 すると、そこに織田信長とアーサー王がラーメンを完全生命体にしながらやってきた。
「うおおぉぉーっ!」
「うおおぉぉーっ!」
「うおおぉぉーっ!」
「うおおぉぉーっ!」
「うおおぉぉーっ!」
「うおおぉぉーっ!」
「うっきー!!」
 そこに高崎山の猿の大群がやってきた。
「うおおぉぉーっ!」
「うおおぉぉーっ!」
「うおおぉぉーっ!」
「うおおぉぉーっ!」
「うおおぉぉーっ!」
 こうして、ついに織田軍と上杉軍が集結し、総勢一人残らず全員が集合して、戦国最強となった。
「うおおぉぉーっ! ついにこの時が来た。長かった戦いも今日で終わる」
「うおおぉぉーっ!」
「うおおぉぉーっ!」
 こうして、ついに武田信玄と上杉謙信は決着をつけるべく、すすきの駅へと向かった。
「いざ尋常に勝負だ」
「望むところだ」
 こうして、ついに二人は激突する時を迎えた。
「うおおぉぉーっ!」
「はああぁーっ!」
 二人の攻撃が激しくぶつかり合う。
「くらえっ! 奥義『ウンチョス大行進』」
「効かぬわ。奥義『ウンチョス大行進』」
「くそっ。なんて奴だ」
「ははは。どうやらワシの勝ちのようだな」
「ぐぬぬ。まだまだだ」
「ほう。なかなか頑固な男だ。ならば、これでどうかな?」
「なにぃ?」
「奥義『うんこ』」
 なんと、武田信玄は必殺技を繰り出したのだ。
「うおぉぉーっ!?」
「はっはっはっ。さあ、これでソフトクリームがソフトクソームにでもなるがいい」
「くっ。だが、俺はここで倒れるわけにはいかない」
「まだ戦う気か? ならば、とっておきの奥義を見せてやろう」
「なにぃ?」
「ふふふ。喰らうがいい。究極奥義『大便』」
 なんと、武田信玄は再び必殺技を繰り出してきた。
「うおぉぉーっ!?」
「さあ、観念するがいい。貴様にはもう打つ手はないはずだ」
「くそぉー。ここまでなのか……」
「ふふん、これが呂布のふんどしの力なのだよ」
「くそぉーっ! 家康ぅーっ!」
「さらばだ。信長殿」
「うおおぉぉーっ! 家康ぅーっ!」
 こうして、遂に織田信長と徳川家康は力尽きてしまった。
「はぁーっはっはー、これで川中島の戦いは自分との戦いを制したワシの勝ちだ」
 こうして、武田軍は勝利した。

「やったぞ。ついに我々は天下人となったのだ」
「うおぉぉーっ!」
 こうして、戦国最強の武田軍によって、ついに戦国時代は幕を閉じたのであった。
「よし。これからこの国の名前を『甲斐の国』に改名しよう」
 こうして、日本は平和になりました。めでたしめでたし。

『異説 川中島の戦い』(完結)


【甲斐バンド - HERO】

🍎お手数ですが、クリックをお願いします。🍏
にほんブログ村 にほんブログ村へ

ヴィヴィアンと春華

 Quoraに次のような質問があった。
《復讐をしようとしている人に向かって、「復讐は何も生まないからやめろ!」って、的外れな指摘ですか?》
 それに対して私はこう回答した。
《「個人の復讐が認められるなら、警察はいらない」。国家の権威に反する行為(一般人の国家に対する越権行為)だと見なされるでしょう。》
 しかし、これは決して私自身のアイディアではない。次のコメントこそが私の回答の元ネタである。


 上記のコメントにもあるように、「国家は暴力の独占により成立するから。私刑を許せば国家が成り立たないから」であり、「個人の復讐が認められるなら、警察はいらない」のである。一個人としての復讐などの私刑とは、国家の権威に反する行為(一般人の国家に対する越権行為)だと見なされるだろう。そんな私の他人のふんどし回答に対して、別のQuoraユーザーさんが次のようなコメントをくださった。
《明治維新になって、真っ先に禁止をされたのが「仇討ち」でした。確か太政官布告だったと記憶しています。それまでは、「仇討ち」をしないと、家督が相続できないなど、色々と不都合が生じていました。それを明治政府が、「公的に処罰をするから、個人では行わないように」という形にしたのです。なにしろ、私が知る限りの記憶では、江戸時代に30年もかかって敵討ちをしたという記録を読んだことがあります。「仇討ち」が禁止をされて、とりあえずは、家督は相続できるようになったので、「家長を殺されて悔しいけれど、家督相続は出来て良かった」と考えた人も多かったはずです。》

 そう、それゆえに中国・春秋時代の呉の名臣だった伍子胥は、自らの復讐を実行するために、自らが一国の権力者になる必要があったのだ。

 個人の復讐が一種の「越権行為」になる事態は色々とあるだろうが、国家レベル以外でも様々な「越権行為」的な事態がある。例えば、元モーニング娘の後藤真希氏は世間一般では「ゴマキ」という愛称で呼ばれているが、後藤さん自身のファンの方々は当人を「ごっちん」という愛称で呼んでいる。これは後藤さんのファンだからこそ許される愛称だろう。もし仮に私が後藤さんのファンであれば、後藤さんのファンではない人が彼女を「ごっちん」と呼ぶのを許せないだろう。すなわち、ゴマキファンではない人たちが後藤さんを「ごっちん」と呼ぶのは、後藤さんのファンに対する「越権行為」なのだ。
 同じ事は名馬のゴールドシップにも言える。彼の世間一般での愛称は「ゴルシ」だが、実馬の関係者たち(例えば、現役時代の担当調教師だった須貝尚介氏や担当厩務員だった今浪隆利氏など)や古参ファンたちは彼を「シップ」という愛称で呼んでいる(ただし、今浪さんは実馬との区別のために、あえてウマ娘版ゴールドシップを「ゴルシ」と呼んでいる)。それに対して私自身は『ウマ娘』経由でファンになった新参者なので、あえて「ゴルシ」と呼ぶ。ただし、当ブログの「紫苑牧場」コーナーでのオルフェーヴルやジャスタウェイなどの一部キャラクターたちは、彼を「シップ」と呼ぶ。
 私の本名は「さちこ」だが、家族親戚たちからは「さっち」という愛称で呼ばれていた。少なくとも、私は赤の他人からこの愛称では呼ばれていないし、呼ぶのも許せない。私を「さっち」と呼んで良い赤の他人は、実の肉親以上に信頼関係を築ける人だけである。そして私は、家族親戚たちとは絶縁しているが、それは私自身の意思によるものである。


【モーニング娘。 - LOVEマシーン】
 歌詞の内容がバブル期みたいだな。当時(1999年)の時点で懐古趣味的な歌詞だった(さすがに「どんなに不景気だって」という部分はバブル崩壊後だが)。

🍎お手数ですが、クリックをお願いします。🍏
にほんブログ村 にほんブログ村へ

漫画家大西巷一氏の失言
 今の日本社会の倫理観の低下の理由は色々とあるだろうが、90年代の「不謹慎な物事」の娯楽化(例えば『危ない1号』などの鬼畜系サブカルチャー雑誌の存在が一例だろう)というものは、世間に対して少なからぬ悪影響を及ぼしているだろう。あの『電波少年』シリーズのようなテレビ番組がその典型例の一つだと、私は思う。
 もちろん、80年代の『オレたちひょうきん族』などのバラエティー番組並びにツービートなどの「毒ガス」漫才などの悪影響も忘れてはいけない。「映画監督北野武」が永井豪氏の『デビルマン』などのシリアス路線漫画ならば、「お笑い芸人ビートたけし」とは永井氏の『ハレンチ学園』などの「低俗」ギャグ漫画に他ならない。『ハレンチ学園』とは、現実世界の子供社会で女の子たちがスカートめくりなどのセクハラ被害に遭うきっかけとなった作品である。

 前述の『電波少年』シリーズは、人権侵害と言っても過言ではないくらいに、出演者たちを粗末に扱っていた。海外事情はどうだか知らないが、日本国内においては80年代以降に子供や若者たちの「いじめ」が犯罪レベルにまで凶悪化した。それ以前の時代においては、子供のいじめというものは『ドラえもん』の世界観におけるジャイアンとスネ夫ののび太に対するいじめのように「遊び」の一種として扱われていたのだ。しかし、のび太がいわゆる「ダメ人間」になったのはジャイアンやスネ夫からのいじめが要因の一つだし、さらにはのび太の母親である玉子さんの「しつけ」がポンコツだったからである(もちろん、父親にも責任はあるが)。

 今世紀において、テレビ業界における「モラルハザード」の代表格は「日本すごい系」の番組である。テレビ東京の『和風総本家』はマトモな番組だったが、それに対して『たかじんのそこまで言って委員会』並びに『そこまで言って委員会NP』とは日本人のネトウヨ化などの差別主義を加速させた「真の有害番組」である。私は昔、何となくこの番組を観ていたが、ある日「日本は東アジアのリーダーになるべきだ!」と誰かが主張したのに対して、他の出演者たちが盛大に拍手したのを見た私は、かつて私が毒継父からさんざん言われ続けてきた暴言を思い出し、恐怖心すら抱いた。
「幼稚園児並み」
 私をさんざん苦しめてきた呪いの言葉にふさわしい状況を描いていたのが、『そこまで言って委員会』という番組における内容の方針である。この番組を見続けていると、私は本当にあの毒継父の言う「幼稚園児並み」そのものになってしまう。それゆえに、私はこの番組を観るのをやめた。おかげで私はネトウヨにならずに済んだのだ。
 問題の『そこまで言って委員会』シリーズは極端な例だが、現在の日本のテレビ業界における「日本すごい系」番組とは、80年代であればまだそれなりの正当性を得られたかもしれない。しかし、現在の日本社会全体の様々な問題とは、「日本すごい系」番組を観て現実逃避しても何の解決にもならない事態である。

 今の我が家ではテレビを使えないが、それによってかえって自分自身が精神的に落ち着いてきたように思える。私にとっては、娯楽としてのテレビは「ワンオブゼム」でしかない。むしろ、ラジオで色々と音楽を聴く方が良いし、それを聴きながら本を読めば良い。さらに、インターネット上で様々な記事を読んだり、スマホゲームの『ウマ娘』などの楽しみだってある。それに、私自身には小説やエッセイの執筆や、ドールカスタマイズなどの創作活動という趣味もある。今の私にとっては、テレビとは過去の文明の利器である。

 余談だが、私の毒伯母とその良心的な夫(私にとっては義理の伯父)は、決裂前はたまに私に「遊びにおいで」と誘い、私はたまに彼らの家を訪れた。しかし、彼らは色々な意味で弱者であるゆえに、創価学会の「奴隷」だった。そんな彼らは常にテレビを観ていたが、NHKの受信料を払わずに済むように、表向きは「テレビが壊れて使えない」という設定にしておいた上で、こっそりイヤホンを使いながらテレビを観ていた。それに対して、私は黙って新聞を読んで時間をつぶしていた。この状況のどこが「遊んでる」んだ? さらに言えば、勉強にもなっていない。強いて言えば、彼らの存在自体を反面教師にするしかない。
 伯母は私に対して「本なんか読むんじゃない。お前の頭がおかしくなる」などとモラハラ発言をして、私を怒らせた。この女は、私が子供の頃から、私という人間に対する「無理解」という概念の擬人化だった。伯母は子供の頃から病弱であり、まともに学校に通えず、さらに脚が不自由だった。そんな「弱者」である伯母でも使える「モラハラ」すなわち「モラルハラスメント」とは、精神的な意味での「貧者の核兵器」である。私はこの悪魔から「感謝」を要求されたが、その恩着せがましい姿勢こそが忌々しい。奴らは創価学会の「財務」のために私を惑わせようとしたが、私はそれに対して猛烈に反抗した。私は奴らを許さない。
 私が「人間」の絵を描いていたら、カマトトぶって「あら、『お人形さん』描いてるの?」。
 私が自らの生活苦ゆえに自殺願望を訴えたら、「お前が赤の他人だったら、誰も相手にしない」「死ぬなら葬式代を用意してから死ね」。
 これらがあの女が私に対して言い放った暴言の一部である。私にとって一番の「モラルハザード」とは、他ならぬこの女の存在である。私があの女を心底から憎んでいるのは、彼女が障害者だからでもなければ、低学歴・低職歴だからでもない。時代の変化を理解する気など毛頭ない「老害」そのものだからである。

 しかし、ウィキペディアによると本来の「モラルハザード」は現在の日本語で使われているのとは別の意味だというが、あえて日本語における誤用を当記事で使わせてもらう。


【亜無亜危異 - パンクロックの奴隷】

🍎お手数ですが、クリックをお願いします。🍏
にほんブログ村 にほんブログ村へ

石川啄木の銅像①
 私は90年代にゲーム『真・女神転生II』をプレイして衝撃を受けた。何と、ヒーロー〈アレフ〉とヒロイン〈ヒロコ〉が実は親子だった。すなわち、彼らがいわゆる「男と女」として結ばれるのは、道義的に許されない。このゲームが発売された90年代とは、日本社会で 異性愛主義 ヘテロセクシズム が絶対的だった(現時点では)最後の時代である。だからこそ、アレフとヒロコの設定はなおさら衝撃的だったのだ。まあ、すでに『ファイブスター物語』のカイエンとクーンの関係の設定があったのだが、この二人は脇役だから、後のアレフとヒロコの場合よりはまだ許せた。しかも、カイエンの遺伝子上の両親はクーンとは別にいるのだ。
 私は今世紀に入ってから、映画『マッド・マックス 怒りのデスロード』を観た。それは、ヒーロー〈マックス〉とヒロイン〈フュリオサ〉が恋愛関係には「ならない」物語である。彼らの関係性は性差を超えた友情であり、仲間意識である。そう、物語のヒーローとヒロインが必ずしも異性愛的な関係性に縛られる必要はない。それで私は思った。この映画、『真・女神転生II』をプレイする前に観たかったな。
 陳舜臣氏の小説『秘本三国志』では、張魯の母・少容は曹操や諸葛亮とは性差を超えた友人関係となる。同じく陳氏の三国志小説である『曹操』では、曹操は若い頃は自分の従妹と恋人同士だったが、その恋愛関係は後に性差を超えた友人関係に変化していく。バーナード・コーンウェルの『小説アーサー王物語』シリーズのダーヴェルとニムエの関係だって、性差を超えた親友同士だった(最終的には敵対関係になったが)。そういえば、ある人は「ベテラン夫婦は最終的には性差を超えた友人関係になっていく」と言っていたね。

 さて、本題に入る。野田サトル氏の大ヒット漫画『ゴールデンカムイ』(以下、金カム)についての感想は、どのような切り口で書いていこうか? 私は金カムを読み終えてからしばらく悩んだ。何をテーマにして感想を書くべきか? 私は当記事を書くまで色々と迷っていた。それくらい、金カムという作品の感想を書くのは難しい。アイヌと和人の関係性や、幕末以来の各地の様々な因縁などの難しい問題が色々とあるが、もっと率直なテーマにしようか。
 私は尾形百之助の人物像の分析をしようかと思ったが、結局は 男性主人公 ヒーロー 〈杉元佐一〉と 女性主人公 ヒロイン 〈アシㇼパ〉の関係性について書いていこう。尾形やその他登場人物の人物像については、別の記事を書いていきたい。金カムという作品については、他にも書くべき物事は色々とあるので、それらは当記事とは別の話題にする。

 アシㇼパは10代前半の少女だが、20代前半の青年杉元に対してほのかに「異性」を意識した。そりゃあ、そうだろう。我が最愛のアニメ『魔法の天使クリィミーマミ』のヒロイン森沢優は、自分より3歳年上の幼なじみ大友俊夫に恋していたのだし、私自身の初恋相手は、中学校入学時に出会った新米教師である担任の先生だった(つまりは、杉元とアシㇼパの2人とほぼ同じ年齢差だった)のだ。未成年女子にとっては、同年代の男子は基本的に「ガキ」なのだし、「異性」として意識するには魅力に欠ける場合が多い(そもそも男性は「非モテ」こそが多数派である)。よっぽど高条件の同世代男子がいない限り、異性愛者の女の子は年上の男性に対して惹かれる方が自然なのだ。
 しかし、杉元はアシㇼパに対して決して性的な目で見ない。「変態パラダイス」漫画である金カムの世界観では、ロリコン並びにショタコンは第一級のタブーなのだ。内地出身の和人である元軍人杉元は、初恋相手の同世代女性の病気の治療のために資金稼ぎをするのをきっかけにして、アイヌの少女猟師アシㇼパと手を組み、同志となる。しかし、彼らはその年齢差ゆえに 異性愛主義 ヘテロセクシズム に縛られた関係性にはならない。いわゆる「男女の仲」ではないが、精神的な結びつきが強い。その2人の関係性は、恋愛というよりはむしろ「異性間ブロマンス」ではないかと、私は思う。

 金塊を巡る死闘から3年以上経っても、アシㇼパが杉元を下の名前ではなく苗字で呼ぶ辺りは、彼らが将来異性愛で結ばれる可能性の低さを暗示しているかもしれない。これは、前述の『マッド・マックス 怒りのデスロード』のマックスとフュリオサの関係性と同じく、男女間の友情を否定しないものだろう。『シュトヘル』のシュトヘルとユルールの関係も単なる「恋愛」以上の深い絆である。そして、異性婚夫婦が長持ちする一番の秘訣は多分「男女間の友情」だろう。恋愛やセックスだけで結びついた男女関係は脆いのだ。

 結論。私自身にとって一番の理想の「異性愛」とは、「性差を超えた友情」である。そして、本当に「性差を超えた愛」だと言えるのは、同性愛ではなく異性愛である。互いに肉体的な魅力をなくしてもなお、性差を超えた友情で結ばれているのが「理想の夫婦」並びに「理想の恋人同士」である。仮に杉元とアシㇼパが(さらには、シュトヘルとユルールが)夫婦になっていたとしたら、そのような「性差を超えた友情」で結ばれている夫婦であってほしいが、友人関係のままでいても生涯を通じての「同志」であろう。


【宇多田ヒカル - Gold ~また逢う日まで~】

🍎お手数ですが、クリックをお願いします。🍏
にほんブログ村 にほんブログ村へ

『ウマ娘』ミニキャラコレクション02、開封して組み立てた
 また、地震かよ…。やはり、私は原発を信用出来ない。まあ、今日は現政権を批判する記事ではないので、とりあえず話を変える。
 私は、ちょっと前にアマゾンで注文して我が家に届いた『ウマ娘』フィギュアを開封して組み立てたのだが、私が好きな「元々牝馬がモデルのウマ娘」というと、誰かな…? ウオッカ、ダイワスカーレット、エアグルーヴ(ただし、トレーナーに対する高圧的な態度は苦手)、イクノディクタス、ヒシアマゾンなどは、牝馬モデルウマ娘としては好きな方だけど、元々牡馬であるゴルシことゴールドシップ並みに好きになれるほどの思い入れはないな。
 とりあえず、私がゴルシの他に好きなウマ娘はグラスワンダーやエイシンフラッシュ辺りだ。私は彼女たちが人柄的な意味合いで好きなんだけど(それゆえに、私は「あの」オルフェーヴルの人物描写を許せない)、彼女たちは元々牡馬だ。『ウマ娘』というコンテンツには(意外と)フェミニズム的な切り口で楽しめる余地があるのだけど、「より魅力的なウマ娘」は牡馬モデルの子の方が多いと、個人的には思うのだな。
 少なくとも、『ウマ娘』の世界観においては基本的にガチの「悪人」並びに「悪女」はいないので、思春期未満の女子たちにも勧められる健全なコンテンツである。これにはいわゆる「強制的異性愛」という要素はほぼないので(ただし、明確な性的マイノリティーの描写はない)、純粋に「良い意味で女子校的な」世界観を楽しめるのだ。まあ、「彼女たち」がどのような「派閥」に属するか次第で居心地の良し悪しが決まるかどうかは、現実世界の「女社会」と同じなのだが、トレセン学園に入学出来るエリートウマ娘という「強者女性」要素と小柄で病弱な身体と人付き合いが苦手な性格という「弱者女性」要素を併せ持つナリタタイシンに、信頼出来る盟友のビワハヤヒデとウイニングチケットがいてくれて、本当に良かった。

 それはさておき、私はYouTubeの某ジャーナリズム系チャンネルの配信動画をよく観ているのだけど、その動画の一つに某男性ジャーナリストが出演しているのを見て嫌な気分になった。なぜなら私は、ツイッターで自分と相互フォローしている某女性ライターさんが「私はこのジャーナリスト某氏に誹謗中傷されていた」と言っていたのを思い出したからだ。多分、彼女は嘘を言っていないだろう。少なくとも、美人局系の嘘なんかではない。
 私は問題の某男性ジャーナリストとはツイッターで一時期相互フォローだった。しかし、某女性ライターさんと相互フォローになる前に、そのジャーナリスト某氏のフォローをやめた。さらに、女性ライター某氏のツイートによってジャーナリスト某氏への不信感が増して、念のためジャーナリスト某氏をブロックした。そのジャーナリスト某氏は元々某YouTubeチャンネルのレギュラーメンバーだったのだが、私はこのジャーナリスト某氏が出る動画はこれからも観ないようにする。チャンネル自体の登録解除はしないが、問題のジャーナリスト某氏自体は信用出来ない。

 余談だが、ある人が「『キングダム』のネタバレが嫌だから『史記』などの歴史書は読みたくない」と言っていたけど、それって別の誰かが言っていた「競馬は『ウマ娘』のために存在しているのではない」という言葉を思い出させる。史実あってこそのフィクションなんだけどね。


【U.S.A. For Africa - We Are the World】

🍎お手数ですが、クリックをお願いします。🍏
にほんブログ村 にほんブログ村へ


【ウタエル - プロレスリングシバター テーマ曲】

 札幌楚漢戦争 参上
 項羽と劉邦とその他大勢
 札幌市内のうまいもん食いまくる
 ラーメン、スープカレーにジンギスカン
 気づけば腹回りが豊か
 空腹を抱いてメシを食う
 どれだけ食っても腹は減ってる

 食うぞ、食うぞ
 札幌楚漢戦争
 食うぞ、食うぞ
 札幌楚漢戦争
 敵どもの軍資金でメシを食え
 札幌楚漢戦争 参上

札幌楚漢戦争

「相模」と「相撲」の類似で私は思う。「仮設トイレ」と「仮説トイレ」の違いは何なのだろうか? 「仮説トイレ」は「仮設トイレ」を差別するのだろうか? 否、全く同じ仕組みのものだ。では、「仮設トイレ」は何のために必要なのだろう? それは人間に対してだけではなく、動物に対してもそうだ。
「仮説トイレ」は人間が使う道具ではないから、動物が使わなくても構わないはずだ。だから私は、今の「仮設トイレ」が何故あるのだろうと疑問に思っている。さらに言えば、「仮設トイレ」を必要とする動物ってどんなのだ? 馬か? それは「仮説トイレ」を使わなくても何とかなるはずだ。それに、馬と人では食べるものも違うし、排泄するものも違うだろう。何故、同じ仕組みのものをわざわざ造る必要があるのか? 私は「仮設トイレ」という存在自体を疑問に思っている。
 だから、もし「仮設トイレ」が要らないのであれば、直ちに撤去してもらいたい。何故なら、そうしないと私達の住む場所がなくなるからだ。「仮設トイレ」は人間だけが使うものであって、動物たちのウンチョスは絶対に受けつけない。なぜなら、それは「仮設トイレ」であってはならないからだ。
 では何故、そんな仕組みになっているのだろうか? 今の時代、誰でも簡単に使えるのが「仮設トイレ」であるはずだ。だから、もし人間が使わなくても良いのであれば、そのほとんどが不要となるだろう。そして、人間はそれを「仮説トイレ」に改造できるのではないだろうか。
 そうなれば「仮設トイレ」は必要なくなる。それどころか「仮設トイレ」の方が邪魔になるのではないか? それは誰が考えてもすぐにわかることだ。
 そう、「仮設トイレ」と「仮説トイレ」の類似は、その仕組みが似通っているからではない。同じものを二つ造り、一つは人間用でもう一つは動物用と分けただけだ。だから「仮設トイレ」と「仮説トイレ」の類似なのだ。
 では何故、わざわざそのような造りにしたのか? それは、今の時代を人間に都合よく造られているからだ。そして、いずれ人間はこの地球上から消えてしまうことも十分に考えられる。そうなったとしても、動物たちはその環境に合わせて生活しなければならないのだから……

 私は今、札幌ドームに併設されている「仮設トイレ」ならぬ「仮説トイレ」に来ている。ここは、動物たちがその時々の環境に応じて自由に使えるように造られたもので、中はシンプルで清潔である。
 そう、ここの「仮説トイレ」には人間用と動物用との区別がない。何故ならば、ここはもともと人間が使うようなものではないからだ。では、なぜ人間に使わなくても良いものがここにあるのか? それは人間がここを使うためだ。そして、もう一点……これは「仮設トイレ」と同じ理由であるが、動物用のものは必要ない。つまり、人間のウンチョスを受けるための「仮設トイレ」として造られているから、人間はそれを必要としない。
 そう考えると、この「仮設トイレ」は動物たちにとっては迷惑なものでしかない。
「仮説トイレ」は人間以外の生き物が利用しないのだから、全ての動物のウンチョスを受け止める必要はないだろう。なのに何故、全ての動物用が用意されているのか? それは、人間が使うために存在しているからだ。人間はウンチョスをしてはならない生き物とされているから、それは人間にしか許されないことだ。もし「仮説トイレ」が全て動物用ならば、誰も「仮設トイレ」を必要としないだろう。しかし、わざわざ「仮設トイレ」を造ることによって人間はそれを利用する。そして、この「仮説トイレ」を造った目的はもう一つある。それは、「仮設トイレ」を利用する人間に人間のウンチョスの仕組みを知ってもらうためだ。
 何故なら、いずれ人間はその環境に合わせて生活しなければならない時がやってくるからだ。その時に人間が自分のウンチョスを理解していないと大変なことになるから……
 だから今ここで、全ての人間にそのことをわかってもらわなければならないのだ。
 人間用の「仮設トイレ」は、その環境に応じて二種類のタイプがある。一つはシンプルで清潔なタイプで、もう一つが機能的ではあるが少し不潔感の漂うタイプだ。何故このような差が生じるのか? それは簡単である。それは、人間のウンチョスを受けた「仮説トイレ」と受けていない「仮設トイレ」の違いと同じだからである。人間用のものは汚くなくてはならないのだ。しかし、それでは動物たちに不都合なため、小ぎれいにした「仮設トイレ」を別に造っている。それが機能的ではあるが少し不潔感の漂うタイプである。
 それは人間用のウンチョスを受けたものは不潔感があってはならないからであり、受けていないものは汚くても良いからである。つまり、そこが分かれ目なのである。そして、私は今この「仮説トイレ」に来て、そのことを確認している……
「……何てことだ……ここまで違うものなのか?」
 私は今、人間の排泄物を区別するために作られたというシンプルで清潔な方を使っている……

 劉邦軍はすすきのにある「仮説トイレ」に入った。私は、この「仮説トイレ」を使って人間のウンチョスの仕組みを学ぼうとしたのだが、その差に愕然としている。
「こんな……こんなものが……人間とは認めたくない……」
 それは清潔感漂うタイプとは似つかないものだった。シンプルで清潔な方は見た目は別にして臭いはないのだが、機能的ではあるが少し不潔感のある方は違う。ここは機能性を重視しているためか、臭いと不潔感がどうしても存在してしまうのだ。私は何か精神的なダメージすら受けている。
「くっ……こんな……何てことだ……」
 私は、シンプルで清潔なタイプを使って人間がウンチョスをどのようにしてするのか? それがよく分かった。人間も動物もそれほど変わりはないのだ。人間はウンチョスをする時、まずお尻の穴が開く。そしてそこから一本ずつ出てくる仕組みだ。それはとても合理的で、しかも綺麗だ。一方、動物はお尻の穴はない。彼らは基本的に口でしかウンチョスは出来ないのだ。だから歯の隙間とかにシラカバの木とかの細い枝を通して、それをお尻の穴に刺すようにして出すのだ。
「人間も動物も……それほど変わらない……」
 私は、その人間のウンチョスを「仮設トイレ」で受けている動物のことを考えた……
「いや、そうじゃない……」
「仮設トイレ」で受けている動物は人間ではない。ということは、臭いも汚れもないということだ。しかも衛生的である。では何故? 何故? そんなことを考える必要もないのか? 人間は獣じゃないのだから……と勝手に劉邦軍のトイレットペーパーの芯から、そう私は答えを導きだしている。
「人間は獣じゃない……ということは、あの動物たちは……」
 私は人間が受けるべきウンチョスを動物が受けているということは、彼らがウンチョスをする度に汚れて不潔になっているはずだと思った。何故ならば、その仕組みにはこの様なことが考えられるからだ。
「『仮設トイレ』では使えないはずの、人間の排泄物を彼らは飲んでいるんだ」
 そう考えれば簡単なことだ。つまり、『仮設トイレ』で役に立たないものは彼らのウンチョスをぶち壊すために存在しているのだ。彼らにはそれしか方法がないのだ。しかし、獣たちは人間よりも利口だ。だから汚くなるようなヘマはしない。彼らも「仮設トイレ」を使えるからだ。
 このことを人間は知らない……いや、知っていても知らない振りをしているのかもしれない。それは人間のプライドなのか? それとも何か別の理由があってのことなのか? 私は人間である以上、彼らのウンチョスを飲むことは出来ないが、それを彼らは平気で飲むことが出来るのだ。特に猟犬などは凄いものだという話を聞いたことがある。

 劉邦は部下たちと共に、すすきのにある「仮設トイレ」に入った。
「う~ん……何か違うなぁ……」と、劉邦は複雑そうな顔をしながら便器に座り込む。
「劉邦様! 早くしてください」と部下が急かしてくるので仕方なく用を足すことにしたのだが……
「やっぱり違うなぁ~」ともう一度言う。そして、考える。それは普段経験することのない不思議な感覚である。まるで夢を見ているようなそんな気分で用を足したのだ。
 そんな時である……ふとウンチョスをする犬の気持ちがわかったような気がした。彼らは「仮設トイレ」を使えるから、これほどの利便性があるのではないか? と思った。
 そう、彼らにとってウンチョスは体の中で作られた汚物を出すためにしている行為なのだ。そしてそれは彼らにとって必要なものなのだ。だから、獣たちは嫌がる素振りすら見せずに人間のウンチョスを飲んでいるのではないのか……と私は思ったのだ。しかし何故だ! 何故なのか?
「一体……彼らはどうしてくれる?」と私は呟いた。
「仮説トイレ」の便器は人の尻をなめる。劉邦は、そんな便器を見ながら用を足していた。
「大変です!」
 と部下が入ってくるなり大声で言う。「どうした! 何かあったのか?」と私は尋ねる。「劉邦様! これを!」と言って私に手鏡を手渡す部下。私がその手鏡で自分の肛門を映して見ると……なんと! 私の肛門にはウンチョスが付いていたのだ! そんな馬鹿なことがあろうか……私は、そこから出てきたウンチョスを手につけながら考えた。一体、何故こんなことが起こるのか? しかも、自分では見えないはずの肛門から……
「なるほど……そういうことか」と私は、そのことの訳を理解した。それは私が人間だからである。ウンチョスをするのは動物や人間ではない。では何なのか? それは彼らにとっての不必要物だということだ。排泄物が出ないとすれば、それがどんな形をしていても関係ないのだ。だから彼らが喜んで舐めることも不思議ではないのだ。私は部下にそれを見せた。
「これは一体……」と部下は啞然とした表情で呟く。
「いいか? よく聞け! これはウンチョスじゃない。ただの汚物だ!」と私は部下に向かって言った。そして、こう付け加えた。「彼らは喜んで舐めているんじゃないんだ! 仕方なく嫌々舐めているんだ」と……
 私は考えた。人間が何故、このようなトイレを使うのか? それは人間にとって不必要な物がそこにはあるからだ。彼らはそれを人間の不必要物として扱ってくれるからだ。それがある限り、人間のウンチョスは安全だと彼らは知っている。だから彼らは「仮設トイレ」に抵抗なく来ることが出来るのだ。そして、人間用の「仮設トイレ」には汚物などほとんどない。何故なら、「仮設トイレ」では使うことがないからだ。
 私の部下がこのトイレットペーパーの芯を見た時に言った言葉は「何だこれは!?」だった。確かにその通りだ! 何故、こんなものを人間は使うようになったのか? いや、それは彼らが人間じゃないからか……
 そんなことを考えつつも私は手と肛門を拭くと自分のウンチョスを項羽軍に与えている動物の方に視線を向けた。すると、そこには一匹の犬がいた……
「なるほど……そういうことか!」と私は呟いた。
「俺は何ということをしていたんだ! こうしてはいられない」と劉邦は椅子から立ち上がった。「どうされました?」と部下が尋ねた。
「だから、犬に人間のウンチョスを食わせていたんだよ!」と私は言い捨てた。そして、部下たちに指示を出した。
「今すぐ! このトイレットペーパーの芯に『仮設トイレ』にある全てのウンチョスを詰め込み、犬たちに与えよ! そして、お前たちも早く『仮設トイレ』に行け! 俺は行く!」と私は部下たちに言った。そして、私も彼らと同じく「仮説トイレ」に向かうために歩み始めた。
「あいつらは人間の不必要物を処理して、その見返りとしてウンチョスを貰うのか……どうりで犬の臭いがしなかった訳だ」と私は思った。人間は自分では使わないものをわざわざ綺麗に処理するからこそ、その処理費用がウンチョス代として上乗せされているのだ。
「そうだ! そう考えれば全て辻褄が合う!」と私は思った。何故、人間が犬のウンチョスを処理しなければならないのか?それは彼らが不必要物を処理してくれるからだ! つまり人間の不必要物は犬のウンチョスであり、それを回収する為の「仮設トイレ」だと考えた方が自然だと言える。何故なら、人間は人間のために作られたトイレを利用しなければならないのだ……人間用のトイレットペーパーの芯がその証拠だ! では、人間用トイレットペーパーの芯は? それは犬のウンチョスで出来ている。
「ああ……なんてことだ! 今まで俺はなんてバカだったんだろう? いや、ただ単に無知だっただけか?」と私は思った。

 私が若い頃に見た映画に『汚れた英雄』という作品があった。その映画の主人公は犬を使って悪者を退治するというものであった。また、最近では同じような内容の作品がいくつかあったり、似たような内容のものも多かったりするので、もう説明は不要だろう。
『汚れた英雄』という映画では、主人公の犬が鼻で匂いを嗅いでその匂いを頼りに敵のアジトを見つけ出し、そこを主人公が弓矢を使って襲撃するのである。そして敵を倒しつつ、その敵から味方に必要なものを奪うという映画の内容である。
 私はこの映画を見て子供の頃にはよくやったものだ……と懐かしく思うのと同時に恥ずかしくも思った……いや! 今もやっているかもしれないな?
『汚れた英雄』では鼻が効くという設定の始皇帝が地下の抜け穴にいる敵を弓矢で狙撃するのだが、私の場合は鼻が効くという設定ではない。ウンチョスの匂いを嗅ぐだけである。それは人間にとって不必要物を回収する作業でしかないからだ。
「おいおい! あれは何だ?」と私は目を疑った。そこには不思議な光景があったからである。それは一匹の犬が一人の男にすり寄っていた光景だった……その男とは……そう! 私が以前、利用したことのある「仮説トイレ」の管理人だった……
「何で始皇帝のウンチョスがあの男に? 何で犬が始皇帝のウンチョスを舐めるんだ?」と私は呟いた。
 それは始皇帝と犬の関係なのだろうか? それとも、始皇帝が「仮設トイレ」で不必要物として出したウンチョスを犬が食べているだけなのか? もし後者だとしたら……とんでもないことだ! 始皇帝のウンチョスが犬の餌になるのなら…それが人間の不必要物だという事になってしまう! そんなバカなことがあってたまるか! そんなことがあっていいはずがない!

「ぬおー!!」
 劉邦軍はすすきのでウンチョスを回収する為に「仮説トイレ」に駆け込んだ。
「我々は、とんでもない間違いをしていたんだ!」と劉邦は叫んだ。
「一体、どうしたというのですか? 急に?」と部下が聞いてきたので私は答えた。
「人間の排泄物が犬の餌になっていたんだよ! つまり始皇帝のウンチョスが犬の餌なんだ!」と私は言った。そして、それを説明しようとしたのだが……説明は省くことにしようと思う……何故ならそんなバカげたことの説明が出来るものではない。なぜなら、メロン大のウンチョスが空から次々と降ってくるようなものであるからだ。そんなものは説明など出来るはずもない……
「な、何てことだ! 今まで俺は何を考えていたんだ!」と私は嘆いた。「全ての元凶は人間のウンチョスなんだ! あの犬のウンチョスさえなければこんなことにはならなかったんだ!」と私は思った。つまり、全ては犬のウンチョスの処理方法から始まっているのだ。何故ならば、犬が始皇帝のウンチョスを食っているのだから……

 そんなことを考えていた時である……ふと下を見ると一匹のウンチョスを食っている犬を見つけた。そして、そのウンチョスの出どころを見た時に私は驚愕した……何と、すすきのの野良犬たちが一斉に始皇帝のウンチョスを食べているではないか!
「そんな馬鹿な……」と私は思った。
 何故だ? 何故、野良犬のウンチョスが始皇帝のウンチョスを食っているんだ? そんなバカなことがあるか! まてよ……ということは逆に考えてみると我々の利用している「仮説トイレ」というのは人間の不必要物を回収し、それらを項羽軍や野良犬たちに与えているということになる。それはどういうことなのか? もし、それが本当であれば項羽たちはウンチョスを食って生活していることになる! いや! おそらく、そういうことになる……つまり犬のウンチョスが人間のウンチョスに成り代わっているのだ!
「我々は犬に餌を与えているのか?」と私は呟いた。そして、すぐさま部下を呼び止めて命令した。
「あの野良犬たちを集めて来てくれ!」と私は言った。しかし、それは無意味なことであった……何故ならそれはまさしく犬が始皇帝のウンチョスを食っているからだ!
「やめろ!」と私は部下に言った。「もういいんだ……」と私は思った。
 それは、我々のしている行為が不必要物の処理から始皇帝への恩返しに変わってしまった瞬間であった……

 項羽軍は札幌ドームを寝床にしながら「仮設トイレ」で不必要物の処理をしていた。
 そして、それが終わると項羽は「仮設トイレ」に自分のウンチョスを捨てた。そして、それを食べるために野良犬たちを集めて行ったのだ。その野良犬たちが食べているものが始皇帝のウンチョスなのだ! つまり始皇帝は犬の餌である! 項羽はそれを喜んで食べているのだ! 我々も始皇帝のために何かしてあげなければ……始皇帝への恩返しのために我々は何をすべきなのか? 項羽軍の野良犬たちを我々の「仮設トイレ」に招待して食事をさせるべきなのだ。それが項羽への恩返しになるはずだ! この哀れな始皇帝のウンチョスが我々への恩返しとなるのだ……
 私は急いで部下たちを呼び集めた。そして、彼らに命令した。「項羽軍の元に向かえ! 始皇帝のための食事を与えるのだ!」と……
 部下たちは私の言葉を聞いて衝撃を受けていた。当然だ……彼らの目の前には項羽たちのウンチョスがあるのだ。

 札幌市内にはいくつかの「仮設トイレ」と「仮説トイレ」が並んでいる。さらに、「仮設トイレ」の近くには野良犬が屯していることが多い。つまり、それらを全て合わせれば始皇帝への恩返しが出来るということだ!
「始皇帝にお喜びになって頂くのだ!」と私は言った。そして部下に命令した。
「急げ! 項羽軍の元に辿り着き、我々のウンチョスを食わして上げるのだ……項羽たちを人間にしてやるんだ!」と私は思った。もはや我々が犬のウンチョスに成り代わってしまったのだから……
「項羽軍の元に辿り着き、我々のウンチョスを食わして上げろ!」と私は部下たちに命じた。すると、彼らは「はい!」と言って項羽たちの元に向かって走って行った。
 項羽軍は始皇帝のウンチョスを食うために野良犬たちを集めて札幌ドームで生活していた。それは犬の餌を得るために仕方なく始皇帝への恩返しとして始皇帝のウンチョスを食べるという行動である。そんな彼らに我々は自分たちの不必要物を始皇帝のために使えるようにすればいい……つまり、最高級のウンチョスを彼らに食わせてあげれば我々の恩返しは完成するのだ。
「項羽軍たちに最高のウンチョスを与えてやる!」と私は思った。そう、もう始皇帝は野良犬たちのウンチョスを食って生きているのだ。それに我々が自分たちの不必要物を処理するより、始皇帝に献上した方が遥かにいいだろう! 項羽たちは自分たちの食事のために自分たちで食料を探しているのであって別に野良犬の食事を奪うつもりなどないのだ……彼らにとっては始皇帝のウンチョスがご馳走なのである!
「項羽軍たちに最高のウンチョスを食わして見せる!」と私は言った。「始皇帝のために我々のウンチョスを食わしてやるのだ……」と私は思った。
 それからしばらく経った時のことである……ふと目を上げると……そこには項羽たちの集団がこちらに向かってくる姿があった。野良犬たちも一緒だ。そして、彼らは始皇帝のウンチョスが落ちている場所まで来ると、それを拾い始めたではないか? どうやら彼らに我々のウンチョスを与えることが出来そうだ……
 項羽たちは我々のウンチョスを拾い始めた。「どうぞ、お召し上がりください」と私は思った。野良犬たちも美味しそうに食べているではないか! まるで、犬たちが始皇帝のウンチョスを食っているようにしか見えない……それは現実であった。野良犬たちは項羽たちと共にその貴重なウンチョスを食っているのだ! 項羽もそれを美味そうに食っていた! これで一つになったのだ! 始皇帝と項羽軍が完全に一致した。そこに合流した劉邦軍も我々のウンチョスを食っているではないか! 我々は項羽と共に始皇帝への恩返しをしているのだ。そうだ……始皇帝の為に我々も協力しよう!
「我々は項羽軍の為に食事を与えるのだ」と私は思った。そして、部下に命令した。「どんどん、我々のウンチョスを持って来い!」と……
 項羽たちは次々に拾っては口に運んでいた。彼らに私たちの不必要物を食わして上げることは間違いではなかったのだ……!
「いいぞ! もっと、食わしてやれ!」と私は思った。項羽たちは我々のウンチョスを美味いそうに食べている。もはや、我々は始皇帝の一部になっていたのである。
「項羽軍たちが我々のウンチョスを食っているぞ……」と私は言った。

 しかし……その時である! 急に項羽たちの様子がおかしくなったのだ! 一体、何が始皇帝に起こったんだ? 項羽たちが突然、苦しみだしたではないか……! そうなのだ……彼らは不必要物を食べ過ぎていたのだ! 項羽たちは自分たちのウンチョスを食べ過ぎて体調を崩していたのだ!
「ば、バカな!」と私は思った。「何で、こんなことになったんだ?」と私は思った……そして項羽は倒れた。そして他の犬たちも次々と倒れていったのだ……
 それは壮絶な光景であった……! 彼らは己のウンチョスの過剰摂取が原因で死んでしまったのである。始皇帝の為に食事を与えることが逆に彼らを殺してしまったのである! 私の前にいる無数の犬の集団は皆、死んだのだ。

 札幌市内では項羽が始皇帝のウンチョスを食べて死んでしまったというニュースが流れた。それは野良犬たちにまで伝わっていた。彼らは自分たちの主人が死んだことを悟っていたのだ……項羽たちは自分たちを人間にしてくれた恩人であるのだ……だから彼らは項羽たちのために涙を流して悲しんでいたのだ……
 私はその光景を見ながら思った「すすきのの野良犬たちは人間の為に生きてきたのだ」と私は思った。我々のウンチョスは彼らに食べさせてはいけないのだ! 私たちは彼らを人間にする責任がある! 彼らに美味しいご馳走として人間のウンチョスを与えなければいけないのだ!
「彼らに我々のウンチョスを食わしてやれ!」と私は叫んだ。
 そして、項羽たちの死体を部下に運ばせて野良犬たちに食べさせるように命令した。そして、彼らに与えたのである……そうすることによって彼らの心が救われれば始皇帝も救われるはずであったのだ……
 項羽は死んだ。それはすすきのの野良犬たちにとっては驚くべきことではなかったのである。何故なら彼らは項羽と長い間暮らしてきていたので、項羽の体調が優れないことは知っていたからである……
 しかし、彼らの心は大きく傷ついていたのだ。項羽は彼らにとって神様のような存在であったのだ。彼らが野良犬として生まれてきた時から今まで共に暮らして来てくれたのは始皇帝であり、その始皇帝を殺したのが項羽だったのだ。彼らは皆、項羽を愛していたのだ! だから彼らは項羽の死を悲しんだ。涙を流した……そして涙を流すことによって死んでしまった主人たちに自分たちの不必要物を食べさせることにしたのだ。
「わおーん!」
 と彼らは悲しそうに鳴いた。それは悲痛な泣き声だった……項羽を失った彼らの悲しみは計り知れないものであった。
 しかし、その時である! 一匹の犬が彼らに近づいてきてこう叫んだのだ「お前たち、何をしているんだ! 項羽様は死んでしまったんだぞ!」と……
 すると、周りの野良犬たちは皆、その犬を見て驚いていた。「お、お前は一体誰だ?」と周りの野良犬たちは聞いた。「私は始皇帝様だ」とその犬は言った。そして、彼は続けて言った。「項羽様はお前たちが美味い物を食うために自らのウンチョスを我々に食べさせて、死んでしまったのだ」と……
 周りの野良犬たちは愕然とした。彼らは自分たちも項羽と同じように始皇帝の為に食事を運んできたはずなのに、それが逆に始皇帝を殺してしまったことに衝撃を受けたのだ! それから彼らは自分たちの不必要物を始皇帝に捧げようと決意した! そうすることによって自分たちが受けた恩を返すことが出来ると考えたのである……しかし、それは彼らには無理なことだったのだ。なぜなら彼らの不健康な肉体は彼らのウンチョスを受け付けることが出来なかったからだ……だから、彼らは始皇帝の為に命を捧げることを決意したのだ。
「項羽様はお前たちが美味い物を食うために自らのウンチョスを我々に食べさせて、死んでしまったのだ……」と始皇帝は言った。
 その言葉はすすきのの野良犬たちに衝撃を与えた。彼らは自分たちが間違っていたのだと理解したのである……彼らの主人が死んだ原因は自分たちの不必要物にあったのだと気付いたのである!
「自分たちはなんて愚かだったのだろう……」と。
 すすきのの野良犬たちは項羽と始皇帝に恩を返す為に決意した。彼らは自分たちが最も美味しいと思う自らのウンチョスを始皇帝に捧げることしたのだ。
「さあ、私のウンチョスを食べてください!」
「私たちの不必要物をどうぞ!」
 すすきのの野良犬たちはそう叫びながら始皇帝の元に集まっていった。そして、彼らは自分たちの不必要物を全て始皇帝に捧げたのだった!
「我々の不必要物は全て貴方に捧げます! だから……我々を人間にしてください!」
と彼らは始皇帝に懇願した。
 しかし、始皇帝はそのすすきのの野良犬たちの気持ちに応えることが出来なかったのである……彼らを救う為には自らのウンチョスを提供するしかなかったのだ。しかし、彼らが自分たちを人間に戻すには不必要物を摂取させる必要があったが、彼らにはそれを食べることが出来ないのだ! 彼らはその現実を前にして絶望するしかなかったのだ。
「項羽様は死んでしまった……」と一匹の野良犬が言った。
「そして我々は始皇帝様に恩を返すことが出来ない……」
 と他の野良犬たちも言った。
 彼らは項羽の死と始皇帝の恩によって心の支えを失ってしまっていたのだ。彼らは自分たちを人間に戻す方法を完全に失っていたのである……彼らが人間に戻るには始皇帝に恩を返し、項羽の敵討ちをするしかないのだが、彼らにはそれが不可能だったのだ……彼らは自分自身を救う手段すら持っていなかったのである。
「我々はこれからどうすればいいのだ?」
 とすすきのの野良犬たちは嘆いた。彼らは生命力を失い、自らの人生を悲観するしかなかったのだ……。
 するとその時である! 一匹の野良犬が始皇帝の元に走って来たのである。それはあの始皇帝を生き返らせようとした野良犬であった。「お願いです! 項羽様を助けて下さい!」と彼は言った。
 そうなのだ……彼にはまだやるべきことがあったのだ! それは項羽を救うことであった。彼にとっては恩人である項羽を救うことこそ彼の生きる目的だったのだ!「このままでは項羽様が死んでしまいます!」と彼は叫んだ。「お願いです! 項羽様を生き返らせて下さい!」と彼は始皇帝に懇願した。
 しかし、始皇帝は首を横に振った……彼にはもうどうすることも出来なかったのだ……
「わかりました……」と野良犬は言った。そして、涙を流しながらすすきのの野良犬たちを見て言った。
「私は項羽様に命を救われました……その命が尽き果てる最後の時まで貴方たちは私を主人として扱って下さりました……そんな貴方たちから恩を受けないわけにはいきません……わかりました、私が項羽様を助けましょう」と始皇帝は言った。
「本当ですか?」とすすきのの野良犬たちは喜んだ。そして彼らは始皇帝の為に自ら命を捧げたのだった。彼らの命は始皇帝によって救われたのである……
 そして、始皇帝は死んだ項羽の為に自らのウンチョスを彼に与えたのだ……すると項羽は息を吹き返したのだった。それは奇跡的な出来事だった!
「お前たち……どうしてここに?」
 と劉邦が驚いて言った。
「始皇帝様のおかげで我々は助かったのです」と項羽が答えた。
「そうか、良かったな……」と劉邦は言った。
 こうして、項羽は始皇帝に恩を返し、すすきのの野良犬たちは人間に戻ることが出来たのである……
「やったぞ!」と私は喜んだ。このストーリーがすすきのの野良犬たちに読まれて彼らが感動してくれることを願おう。しかし、私は思った……この物語は多くの人々を救うことが出来るのだろうか?

『すすきのストレイドッグス』(完結)


【てとら - DOG SONG feat.flower】

🍎お手数ですが、クリックをお願いします。🍏
にほんブログ村 にほんブログ村へ

アスターティと緋奈の夏④

 馳星周氏の小説『黄金旅程』(集英社)は、実在名馬ステイゴールドをモデルにした架空の名馬にして悍馬〈エゴンウレア〉が馬側の主人公で、人間側の主人公は親友の両親から受け継いだ養老牧場を経営する装蹄師という設定の話である。しかし、実際のステイゴールドが活躍していた時期とは、あえてずらした年代設定になっている。史実のステイゴールドの後輩ディープインパクトや、史実のステイゴールドの息子ゴールドシップがモデルになった馬は、エゴンウレアの「先輩」になっているのだ(まあ、『ウマ娘』のゴールドシップは、史実での祖父メジロマックイーンよりも年上のイメージで描かれているが)。
 その『黄金旅程』は、読書メーターやアマゾンレビューなどで何人かの読者さんたちが「主人公とヒロインの濡れ場が蛇足」「ヒロインの存在自体が蛇足」だという感想を書いていたが、私は特に彼女の存在自体には蛇足感は抱かなかった(まあ、ずいぶんと押しの強い姐ちゃんだとは思ったが)。しかし、同じ「男性主人公と恋仲になる女性獣医師」なら、菅原雅雪氏の漫画『牛のおっぱい』に出てくる「やよいさん」の方がよっぽど魅力的だった。その菅原雅雪氏や三国志漫画『龍狼伝』の作者さんがネトウヨ化してしまったのは残念だね。あと、「よしえサン」の夫君もね。
 その問題の女性獣医師は30代のれっきとした「大人の女性」である。その年齢や立場にふさわしい「男を求める女としての主体性や責任感」がちゃんとあるヒロインである。しかし、いわゆる「ティーンズラブ」と呼ばれるジャンルの漫画や小説のヒロインたちには「男を求める女としての主体性や責任感」がほぼない。要するに「ティーンズラブ」とはヒロインの実年齢ではなく精神年齢が「ティーン」であり、それゆえに、ヒロインを性的な意味で悦ばせるイケメンたちにヒロイン自らの性欲に対しての責任を丸投げするものである。
 要するに、ティーンズラブ作品のヒロインたちとは、一人前の「女」として「男」と性行為をする資格がない人たちなのである。世間一般のフェミニストたちは、このような不甲斐ない女性向けコンテンツこそを批判すべきだろう。ミソジニストの男性たちから「フェミはだんまり」などと揶揄されるような事態は、女性向けエンターテインメント界にこそあるのだ。もちろん、それらの中には、いわゆる「BL」すなわち「ボーイズラブ」というジャンルにも同じ事が言える。現実世界のゲイやその他性的マイノリティーの人たちを差別する輩が、その手のネタを消費するのは、いわば「女体好きの女嫌い」の男女逆転版である。

 さて、『黄金旅程』は実質的に二人の男性主人公たちの物語であり、彼らはかつて同じ夢を抱いていた幼馴染にして親友同士である。そして、いわゆる「腐女子」たちは、この二人のような異性愛男性同士の友情を無理やり「同性愛化」妄想して「萌える」人たちである。しかし、私自身は腐女子ではないので、彼らに対して「BL」的な妄想などはしない。それに対して、いわゆる「腐女子」とは「男女間の友情は絶対に成立しない」などと主張する男性たちの女性版のような存在ではないかと、私は思うのだ。
 もちろん、同じ事は「百合」的な妄想にも言える。柚木麻子氏の小説『BUTTER』のヒロインたちの友情だって、単なる異性愛女性同士の友情以上の関係性であり、いわゆる「ブロマンス」の女性版である。男同士・女同士のいずれにしても、純粋な「友情」を無理やり「性愛」的な意味合いの妄想でねじまげるのは、いわゆる「ポルノ依存症」的な姿勢である。ホンマモンの同性愛者の方々に対して失礼じゃないの。






【Hayley Kiyoko - Greenlight】

🍎お手数ですが、クリックをお願いします。🍏
にほんブログ村 にほんブログ村へ

↑このページのトップヘ